☆☆☆ 少女アリス 03


第3話 ピエロとサーカス団
 
☆★ ナイト・フェスティバルの街

 「お嬢さん、危ないですよ。こんな所にボンヤリと立っていたら」
 影のような紳士がそう言って去っていった。
 街は夜空の星以上に華やかに光り、賑わっていた。通りを行き交う人々のざわめきが、寄せては返す、波のように繰り返し響き渡る。
 大勢の人が、着飾って笑っている。
「さぁさ! 今日は、年に一度のお祭りだよっ!!」
 明るい声がどこからともなく聞こえてくる。アリスは、頭に霞がかかったように虚ろに立ちつくしていた。
「そこのお姉さんも、一緒に楽しもうよ!!」
 突如隣りに現れたピエロに手を取られ、二人は踊り始める。
 目が回るような動作のなか、ピエロの顔だけは浮かび上がったかのように、はっきりと見える。
 ずしりと体が重くなったと思った瞬間、アリスはドレスにつつまれていた。
「素敵なドレスだね」
 不意に少年になったピエロがそう褒めた。
「ありがとう」
 口が、勝手に動いた。
「とってもよくお似合いだよ」
「うれしいわ」
 アリスは決められていた台詞を吐くように、口から言葉が出るのを止められなかった。
(決められた演技をするように、吐く言葉も台詞のように、それはすらすらとアリスの中から出て行った。)
「ふふ。その服なら問題なし。・・・今からサーカスが始まるんだ。一緒に行こうよ」
「ええ、喜んで」
 アリスは優雅に微笑んで見せた。もちろんそこにアリスの意思など微塵もなかった。
 ピエロの微笑む口元からは、堪えきれずにというような笑い声が洩れた。何かを必死に我慢しているように。
 踊りが止まり、ざわめきを意識しだす。
「さあ、こちらへ。お姫様」
 優しく手を伸べ、ピエロはアリスをエスコートする。
 まだ踊っているかのような、軽い足取り。
 アリスは今度は酔ってでもいるかのように、とろとろに溶けていくのを感じた。アリスは今、自由だった。
「・・・さあ、着いた。このテントに入って待っていて。すぐに追いつくから・・・」
 手を離したピエロは、途端少女になって、優しく背中を押した。
「いってらっしゃい。どうか、楽しんでね・・・」
 薄暗い中、昼間はさぞ目立ったであろうオレンジ色のテント。その小さな黒い入り口に吸い込まれて行く・・・。
 
夜の薄暗闇の中でさえ膨張し続けているようなテント。
 欲望と歓喜を内包したような、欲張りなものを感じる。
 アリスは、不意に、疲れを感じて目を閉じた・・・。

 わあぁぁぁッ!!
「!?」
 楽しげな歓声に驚いて目を開けると、そこはテントの中だった。サーカスはすでに始まっていたのだ。
 焼き付けるようなスポットの中、華やかな衣装に身を包んだ乙女たちが猛獣と共に踊る。
 燃え盛る炎の輪を、ピエロ達が次々にくぐっていく。
 ・・・一人、失敗したピエロが、炎に包まれながら踊り、倒れたのが見えた。
 遠くてよく見えなかったが、あれはさっきのピエロだ。
 一緒に踊り、このテントまで案内してくれたピエロだ。
 そのピエロが倒れた瞬間、体の中で、興奮が弾けた。
 周りと一体化して、歓声を上げる。
 その声に応えるかのように、倒れたピエロがぎこちなく立ち上がり、かしこまった一礼をした。
 そして、顔を上げたかと思うとまた倒れかかり、不自然な状態でその体が静止した。
 次の瞬間、ピエロの手足に糸が見えた。
 ピエロはカクカクと踊り始めた。
 周りに、他のピエロも集まってきて、同じようにぎこちなく踊り始める。
 その顔!!
 なんと、ピエロ達は同じ顔をしていた。もはや個性の欠片もないような、一様に同じ空ろな表情。
 見分けがつかない。
 炎に包まれたあのピエロも、今となっては別のピエロだったのではないかと思えてくる・・・。
 もはや、同一人物であったという確信がなくなったのだ。
 興奮がしぼんでいく。新たなものを捜して眼球があちこちに動くのを止められず、ただ、周りの熱気にあてられたんだと思った。
 ・・・そう、思うことにした。
 ふと、目を過ぎる誰かの影。
 足の長い長い、その影の持ち主は、逆光の中、僅かに微笑んだようだ。
「こんなところにいて・・・。あなたは本当にしょうがない人ですね・・・」
 想像していたよりも声が若かった所為だろうか。
 アリスは、落ちつかなげに俯いた。何故だか、彼の目を見てはいけないと思ったのだ。
「ふふ・・・。それでも、ちゃんとやることは覚えているのだから、あなたに忘却は何の意味もないものだと、時々思いますよ」
 可笑しそうな口調に、不可解な言葉。
 それはアリスの胸の中で弾けて増えた。
 何かを呼び起こす、振動になった。
「・・・・・・!! あなたはっ!!」
 不意にもたらされた答えにアリスがかぶりを振って上を向くと、足の部分だけ長い影が、今度は影だけとわかる薄っぺらさを伴って喋った。
「ああ、惜しい。惜しかったね、君。
 彼の人は、もう、去った後だ。君の反応がもう少しだけ早かったら、もしくは・・・」
 影はアリスの想像どおりの声で口調で喋り続ける。
「ああ、いけない。済んでしまった事をとやかく言うのは失礼というものだったね。
 いや、本当にすまないね。
 ただ、近くで見ていて、本当に惜しかったと思ったものでね」
「そう、ですか・・・」
「おお、こりゃ、いけない。
 そんなにがっかりしなくてもいいじゃないか。まだチャンスはある。
 彼の人だって、そこまで意地が悪い方では、ないだろうに・・・。諦めるのは、ちと、早いというものだよ・・・!」
 アリスは影の紳士が言うほど楽観できなかった。
 だって、彼がそれほど気の長い人物には、到底思えなかったのである。
 彼は気まぐれなのだ。
 すぐに居なくなり、諦めた頃を、見計らったとしか思えない時に姿を現す。
 もったいぶった言い方と、つかみ所のない性格。
 どうすれば、また彼に会えるというのか。そう簡単なことではないように思えた。
「まあまあ、そう落ち込むことはないよ。
 今日は祭りだ。パレードだ。今日くらい楽しまなくて、いつ楽しむというんだい。
 だから、そうへこむのはお止め。へこむのは後にしたって、変わらないだろう?」
「それは、そうですけど・・・」
 アリスは情けなくもあった。
 通りすがりの紳士でさえ、今日は浮かれたように明るい。アリスを励ましてくれてさえいるのだ。
「私は行くけど、お嬢さんは、サーカスを最後まで見るんだろう?
 このサーカスはいいよ。とても楽しめるものだ。最後まで居なくては、絶対に損するよ?」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだとも。
 これはね、今日の為だけに開催される特別なサーカスなんだ。いつもと演目が違う。
 今日しか見れない。一生に一度だけ。それが見れれば幸運と思うんだよ? 誰にでも、一度しか見れない夢があるだろう・・・? それと同じさ」
「一度だけの・・・夢?」
「ああ、そうさ。だから私は、もう、見た。だからもう帰るんだよ。君はまだなのだろう?
 そのくらい、私にだってわかるよ。だから、大人しく見ておいで。きっと素晴らしいに違いないから・・・」
 最後の言葉は呟きになり、耳を掠めて消えていった。
 影の紳士は跡形もなく消えていた。
 初めから存在しなかったように。



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